ランニングについての考察やコラム、思い出などをnoteに記しています。それらが埋もれてしまい、見つけにくくなっていますので、書いたものをまとめます。少しでも体系立てて見やすく、引きやすく、参考にしやすくなれば幸いです!

note:https://note.com/nkamiya/n/n704a1bc38565


みなさんは経験してきていますか?
楽しい思い出?イヤな思い出?どちらでもない??
私は両方経験してきています。確かに良い思い出ではあります。

それに自分の小学校、中学校は結構有名で「誇り」に想う人が多く居るのは確かです。
特に組み立て体操は運動会で「魅せる」競技で、恐らく達成感も大きなものがあるとは思います。
ただケガのリスクが議論を起こすようにはなってきていますね。

少し考えてみましょう。





私が思うのは確かに達成感も大きいし、一つの完成形、
「理想」を追って日々取り組むことで能力が向上し、
力を引き出せるようになるということは大いにあると思います。
子ども、若い頃は可能性は無限にあるように感じますし、やればやるほど伸びる時期でもあります。

その反面、達成感も完成形もケガリスクのある部分は代替え可能なものに変えていく必要もあるとは思います。

「体力テスト」などでは昔より今の子が向上していると言われます。
しかしそれはそのまま身体の強さとは結び付きません。
「技術要素」が高いかもしれないんですよね。

少なくともただでさえ「美化」しがちな思い出を「経験則」とし、
今の子供に投影するのは非常に危険なんですよね
。全然見合っていない目標設定、取り組みになりかねない。

「部活問題」も教員の働き方改革と子供の問題はセットになってしまうから混乱しますが、別物ですよね。
子どものことだけ考えても、ビギナー向け、エンジョイ向け、競技レベルアップ、本格志向と段階を追ってやっていく必要があると思います。

ベーシック、共通部分と、それ以外の部分。
もちろんそれも机上の話で現場ではなかなか難しいのですが・・・
ただ考えておくことは大事だと思います。





組み立て体操も確かに美しい。
泥だらけになりながら、一生懸命ひたむきにやる姿は親から、大人から見ても美しい。
当事者の子供たちにとっても良い部分はあるでしょう。

しかし安全性を高めつつ、魅力ある取り組みへと更に工夫する余地はあると思います。

これは持久走も同じです。
確かに「ここまで頑張る!」という目標を達成する努力、経験は必要ですが、それも代替え可能ではないか?
追い込むことがその子の力を引き出す部分もあるのですが、
むしろ意欲喪失し、開花する可能性を積むことも考慮する必要があります。





学生スポーツも同じで「全力」で競技に取り組むことはその持てる力を充分に引き出す可能性を高めます。
目標にコミットすればするほど深く引き出せる可能性は否定しません。

ただそれは横に拡げても良い類ではないか?
リスクとのバランスは取れているかは考えなくてはいけません。
もちろんプロ目指していく子は良いかもしれません。

生涯スポーツとしてやるにしても競技選手は学生までで引退という大多数の人はその辺りを考慮する必要があります。
その競技目標を達成することで多くのものを犠牲にして良いかどうか?

これは本人を含め、親御さんもよくよく考えることが必要ですね。
ただ指導者や周りが勝手に決める訳にはいきません。
あくまで当事者が決めていく。周りはその判断に沿って支援していく。





少し話題の周辺をぐるぐる回ってしまいましたが、大事な事だと思います。
世代にとって随分違うのであくまで参考に、ですが。
大学スポーツを指導してきた経験からお話しするとアスリートのトレーニングを組む上で必要な判断というものがあります。


・それは他の「安全な」トレーニングに代替え可能か?
・そのトレーニングは代替え不可能としても、期待する効果とリスクのバランスはどうか?
・その選手のコンディションはどうか?現時点での能力はどうか?
・共通部分と、その選手に見合ったトレーニングの選択は出来ているか?





色々有りますが、一番解りやすいのは「パワプロ」のサクセスですね(笑)
体力が下がってくると「故障可能性」がぐんと増える。
確かに詰め込むとタフさは維持できるし、向上するかもしれない。
連続的な活動に耐久性をもたらすかもしれない。

でも休めば一時的にタフさは下がっても、全能力と故障率は回復する。



★★★

一般的な小学生中学生とアスリートは確かに違いますが、
むしろアスリートでもそこまで気を使ってトレーニングを組んでも故障やケガをするわけで。

まして専門的トレーニングを積んでいない先生や生徒が大勢を占める中で潜在するリスクは相当なものだと思います。

多少の擦り傷や打撲は日々の遊び、活動の中でも起きます。
むしろ子供はそれくらい「元気」でなくてはというのも解ります。
限界ぎりぎりまで追求していく体験も必要かもしれません。
でもそれならもっと日々の遊びや場創りなどを検討していくことも必要ではないでしょうか?

アスリート、競技側から考えると子供の頃に運動能力を高めておいた方が良いと考えるかもしれません。
その辺りは経験則なのか、研究が進んでいるかも解りません。

それよりはスポーツや身体を動かすこと、
遊び体験などを豊富に、「楽しめた体験」を増やすことの方が重要な気がします。

いくら能力を高めてもトレーニングを「楽しめ」なければ後々長く続けることは難しい気もします。
もちろん結論は出ませんが・・・

「苦痛」だからけの長距離走に見えますが、あれでも楽しさを見出すことは可能なんですよ。
めっちゃきつい山登りやトレーニングも同じで。

ただそのキツさが「苦痛」に変わるとアスリートにとっては致命的。
大きなケガと同じくらい「苦痛」がやってくるのは忌避したいものだし、選手生命を脅かす重大なもの。

その「苦痛」を小さい頃に与えてしまう可能性はもっと考慮されても良いのではないか?
「キツさ」と「疲労感」と「苦痛の違い」を理解し、考えていく。
というのが今回、この稿の結論です。

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