ランニングについての考察やコラム、思い出などをnoteに記しています。それらが埋もれてしまい、見つけにくくなっていますので、書いたものをまとめます。少しでも体系立てて見やすく、引きやすく、参考にしやすくなれば幸いです!

note:https://note.com/nkamiya/n/n2522632e8097


大学1年から4年まで、4回走らせて頂いた。
区間はそれぞれ6区、8区、8区、4区。
1回1回を語ることも出来ますが、それは後日。

今回は総集編でお送りいたします(笑)



自分が1年時は駒澤大学にとって「初優勝」がかかっていました。
出雲では優勝しており、全日本も初優勝し、箱根の初優勝に繋げるという目標もあった。もちろん、三冠も。

2年目は連覇が掛かっていましたが、正直前年と比べ厳しい戦いが予想されました。
当時、神屋の8区:アンカー起用は誰もが認めるものではなく、期待を込めて程度だったと思います。

そして3年は惨敗した年。前年の実績を引っ提げてアンカーに起用されましたが、期待に応えられず。
メンタルコントロールの足りなさと、ペース配分等に問題がありました。

4年次はここで勝てなければ箱根も勝てない!
の気持ちで臨み、強力な戦力にもなっていたので、4区に起用されました。
じぶんとしては自分が優勝を決定する走りを!と強い気持ちで臨んだレースでした。


振り返ってみれば、4年間で3度も優勝でき、その4度に出走し、
初優勝、連覇、負けた悔しさと最終学年の優勝を飾ることが出来た。

区間賞、区間賞、2位、2位と欲を言えば全て区間賞、
一つくらい区間新を出したかったとは言え、まあまあの走りで貢献できたと思う。

伊勢路を走るというのも嬉しかったし、出雲駅伝に続いて地元、
関西のチームと走ること、会えることも嬉しかった。

何より、「日本一」の称号を3度も手にしたことが嬉しい思い出。

あの時から母校、駒大は全日本で強さを見せつけるチームとなった。
この記事にもあるように(「全日本大学駅伝で存在感!歴代優勝大学の顔ぶれ」SPAIA)
私が大学1年時の1998年以降、2017年までに12回もの優勝を誇っている。

その「最初」に自分が少しでも貢献できたこと、関り、その場に居れたことは中々出来ない体験だし、有難いことだと思う。

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