ランニングについての考察やコラム、思い出などをnoteに記しています。それらが埋もれてしまい、見つけにくくなっていますので、書いたものをまとめます。少しでも体系立てて見やすく、引きやすく、参考にしやすくなれば幸いです!

note:https://note.com/nkamiya/n/n52d722af0265


今回は上記テーマにてとある論文を基に考察をしていきます。
この分野の論文は多様にあるのですが、一般的に入手できるレベルがどの程度かは解っていません。

先日はこういったnoteを感覚的な方で書いたので、
今回は論文を引用、読みながら所感を考察をメモのように記していきます。


高等学校における運動有能感に着目した普通科と体育・スポーツコースに関する一考察 松田広・橋本真理子 .古明地那悠
https://fukuyamaheisei-u.repo.nii.ac.jp/?action=re...

運動有能感の構成因子, 「身体的有能さの認知J,◆崚制感J,「受容感Jの3因子からの分析


詳細については引用元の論文を読んで頂ければ解るのですが、自己肯定感が低いと何事にも辛さを感じますよね。
周りの評価が高くても、自己肯定が低いとどうにも自信を持って進んでいけない。何事にも不安感がある。

また周りの評価と自分が目指すものや必要と思うものが満ちていない場合の齟齬なども肯定感を下げる気がします。
辛さや不安感に覆われる。

スポーツも同じで、アスリートとして上を目指していく場合には理想と現実があって。
その埋めるべき差が大きくても小さくても肯定感の有無の方がモチベーションとしては重要になると思います。
次に「有能感」。周りにとってはどんなに無謀な目標に見えても本人の中で有能感が確立されていれば高揚感もあるし、
思い切って向かっていける、進んでいけると思います。

逆に自己肯定感も有能感も低ければ周りがサポートし、少しずつ改善、
高めていけるように環境づくりやフィードバックを行っていくことが大事だと思います。
自分はこういう部分を特に担いたい。そんな想いで指導者(コーチ等)になりました。

そういった部分が前提となり、自分で目標に向かってコントロールしていけるという実感を持つことができ、
自立する、自主性を持っていけるような感じがしますし、周りからも肯定されている、受け入れられている気がするでしょうね。

とにかく周りの大人は否定から入らないことがこれからの時代、益々大切な意識に、態度になるのではないでしょうか。

子供は、小さい頃は大抵が有能感に溢れている気がします。
自己肯定感も強いと思います。もちろんまだ何も解っていないかもしれませんが。
だけどいずれ現実を知っていきます。
その前に周りの大人が現実を「教える」ことに意味はあるのでしょうか?
(そこはまた別の研究があると思いますし、学びも必要ですが・・・)

持論としては小さい頃はその有能感や肯定感を周りの大人は大切にし、
リスクは避けるべき面もありますし、ルールやマナーは教えつつも
スポーツ(遊び)に伸び伸びと取り組める環境を創っていくことが大事だと考えています。

もちろんこれは大人になっても、大人にとっても凄く大事なことで。
承認欲求が強すぎるのも困る場合がありますが、
出来れば有能感や肯定感をベースにもって評価を頂けたほうがやり甲斐はありますよね。

外的動機、報酬である対価も低いよりは高い方が嬉しいしやり甲斐はある。
わざと低評価をし、相手の自尊心を挫いた上で思うように操る、
動かそうとする方法では一時的には伸びたり成果を上げられても、いずれ行き詰まります。
ましてそういった方法を取るべきではないんですよね。

長くなりそうなのでこの話はここで終わります。

子どもを生涯スポーツに向かわせるためには,自ら主体となってスポーツに関わり,運動有能感を高めることが重要であると捉えることができる


外で遊びたい、身体を動かしたいという子供の要求に対してどれだけ応えられるかが大事だと考えます。
正直、親は子供のそのパワーにはついて行けない面もありますし、親の運動する能力や要求が下がっていると相手が出来ませんよね。

忙しい現代、余力が残らない状況下では子供たちと同等に遊べる力はあまりありません。
かといって子どもたちだけで遊ばせるのはリスクが大きくなっていたり、制約が多くなっています。
この辺の課題解決には働き方改革もそうですし、地域で子供の活動を支えるクラブチームなどの存在がより重要になっていくことでしょう。

ここではなぜ「身体活動が必要か」という問いは置いておきます。
前提に必要だという認識で話を進めさせて頂きます。

更に、子供たちが遊びを、身体活動をする上で大人が気をつけるのは
一定の水準を子供に課さないこと、過剰な評価をしないことかなと思います。
子供にとって少し上の目標、課題は必要であるにせよ、
自分の現状を大きく上回る目標や取り組みを他者から与えられたときには楽しさより苦痛が上回ると思います。
(もちろんこれは大人でも同じですが)

あくまで子供の自主性、有能感を維持、増進できるようにフィードバックを行うこと、
コーチする、サポートすることが大事だと考えられますね。

高校生の段階で運動有能感を高めることができなければ,学校体育の目標である「豊かなスポーツライフの継続」を実現することは,困難になるのではないかと推察


これもうなずけるもので大学や社会に出たらそれほどスポーツや運動に親しむ場は多くありません。
習慣も自ら作ろうとしなければ作れないし、保てないでしょう。

ここでいう「有能感」は必ずしも他者との比較で発生するものではないですよね。
もちろんトップクラスは他者との比較で感じるのかもしれませんが、それは上位にいけば行くほど狭き門になります。

それ以外にも自分なりに向上していく取り組み方への肯定感も凄く大切ですし、
未来まで目標を持ち、到達していける可能性を感じ続けることが出来るかどうかが鍵だと考えます。その目標は決して記録だけではなく、
チャレンジに対すること、楽しみ続けられるかどうかも含むと思います。

岡津 (2015)は, 「運動有能感を高めるためには,体育授業の経験の量的な違いよりは,体育授業の内容やねらいという 質的な経験の違いの方がより 影響が大きいことが明らかである」と述べている.


本論文では「スポーツコース」と普通科における考察を主に行われていますが、
自分が駅伝監督を務める相生学院高校駅伝部も加古川校にてスポーツコースに在籍して取り組むことになります。


相生学院高校駅伝部

もちろん普通科同様、高校卒業単位を満たすように勉強もしていきますが、
スポーツに取り組む質的体験を高めるよう、授業の振り分けも工夫されています。
量が多ければ結果は出るかと問われればイエスともノーとも言えますが、
確実に言えることはスポーツ体験の質が高ければ将来に渡って大きな財産、知見、体験になることは間違いありません。

通常の高校生活を送ることと比べればスポーツに関する知識や身体体験は圧倒的に違ってくることでしょう。
将来、スポーツでトップを極めたいという希望以外にも、生涯スポーツとして楽しむことも、
コーチやスポーツビジネスに携わる上でも大いに学べる機会になると思います。

大学からスポーツを学問として学ぶという方法もありますが、
高校時代からスポーツの質的体験が高ければ、
大学ではもっと土台をしっかりとした状態で選択肢、学問にも取り組めることと考えられます。

もちろんこれは幼少期からスポーツに親しむ、触れる環境があるかどうか、
体験を質量ともにしているかも大きいですよね。
何歳からでも思いついたときに親しむのも有効ですが、
子供の頃から遊びを通じて身体を動かしておくことの重要性は測り知れません。


KRC


生涯スポーツを実現していく、赤ちゃんから大人まで誰もが遊びを、
スポーツを楽しめるようにこのクラブでもしていきたいです。

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