ランニングについての考察やコラム、思い出などをnoteに記しています。それらが埋もれてしまい、見つけにくくなっていますので、書いたものをまとめます。少しでも体系立てて見やすく、引きやすく、参考にしやすくなれば幸いです!

note:https://note.com/nkamiya/n/n4553f817ec94


★進学★
兵庫から東京へ。
大学選択は色々ありましたが、お声をかけて頂いたところではない駒澤大学に入学しました。
理由はマラソン出場を考えていたのと、社会の教員免許を取りたかった&歴史学科に行きたかったから。
(結局取得成らず)

当時、駒澤は強くなっていく過程でしたが、あまりチーム成績は気にしていませんでした。
それより卒業していく方々がハーフマラソンで結果を残していたのに注目しました。

ハーフ→マラソンへ。このチームならそんな道筋が見えると考えたからです。
特に夏の北海道マラソンには憧れが強かったんです。そうして高校から大学への道が続いていきました。


★実績★
この章の下部にリンクを張りましたが、「駅伝ランナー」と言える感じの実績をイメージする方が多いです。
やはり一番最初に箱根駅伝出場とか、優勝チームのエースだ、という感じで。

実際には最高実績はアジアクロカン日本代表だと思います(シニア8位)。
今の時代ならもう少し注目頂けたのでしょうけど、当時は本当にひっそりという感じでした。

他に挙げられるのはマラソンへ繋げるためのハーフマラソン。
仙台国際、府中、全日本インカレ、関東インカレ2部で計4回優勝しているんですよね。
札幌国際も3回出場し、世界ハーフの代表は3回ともあとちょっとで逃しましたが、実業団選手と競る貴重な経験を積みました。

ちなみにマラソンは大失敗したのですが、2年時の熊日30kmは1:31:36とマラソンに繋がる土台は出来ていたと思います。

トラックでは記録はあまり残していませんが、それでも1万はジュニア歴代4位、ハーフも当時ジュニア歴代に乗りました。
関東インカレ2部1万で優勝と2位が一度ずつ。5000m8位も1度。日本インカレは1万3位。

進学した目的の一つは「駅伝」よりも「個人」だったので予想より駅伝の比率は上がりましたが、
個人もまあまあだったと思います。当時、関西では「箱根」のイメージはそれほどでもなかったんですよね。

全日本大学駅伝

★勉強★
教員免許の取得は諸事情で諦めましたが、歴史学科はそこそこ満喫しました。
東洋史専攻でしたが、特に中国史の勉強を豊富にすることが出来、その後も趣味的に多くの書物にも触れ続けることになりました。

また多くの教養を学べ、これもその後もずっと興味を持ち続けられるものとなりました。



★進路、未来へ★
大学入学時は「教員」をメインに考えていました。
結局途中で変更になり、実業団に進路が決まるのですが、
このあたりでその後の指導者への道も「メイン」として立ち上がってきたと言えますね。

元は高校時代に競技中心に選んだ時点で濃くなっていたその色も、大学での実績により更に濃さが増した感じです。



★不足★
2001年からこちらのサイトを運営していました。
(一度だけ移転)当時は日記と掲示板メインでしたが、高校時代に学んだプログラミングが少しは役立った感じです。
とはいえhtmlを簡単に記述してCGIはレンタルしました。

KAMIYA'S HP

ブログが出た時は真っ先に飛びついた。
このおかげで普通の選手、学生が体験できないことも多く出来たのですが、
出来ればネット環境がもう少しあったらよかったなと思っていました。

当時は寮生活なので環境構築が難しかったんですよね。

あと今のようにSNSなどが発達していたらもっともっと活発にそちらにも力を入れれたのにと思います。
今の人が羨ましい部分です。



★★★

細かなエピソードや当時感じたことは幾らでも書けそうです。
note十数くらいはいけるかな?(笑)
先ずは今回はここまで。今後をご期待下さい!!


★参考★
大学時代のほかに記したエピソードや関連する記事です。

出雲駅伝

箱根駅伝を通じて

箱根駅伝の宣伝効果

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