ランニングに関わる考察 - 恩師の教え:器について
note:https://note.com/nkamiya/n/nc072ecaa7227

もうかなり以前の「教え」になりますし、その後に補完された部分もあるかもしれません。
「恩師の教え」がベースに根付いていることで多くの支え、根幹になっていると感じます。
本当にそういった出会いは代えがたいことですよね。
「恩師の教え」 器をしっかり作ること。 その後に何を入れていくにしても先ず器が大きく、遺漏なきものを作っていくこと。 どこまでも大きく器を育める環境なくば広がることは出来ない。 自己の限界を持たず、外に外にと大きく器を拡げていくよう務めるべし。 それは一生の大事である。

昨夜こちらを投稿しましたが、溢れるように「器」について思い出しました。

器は強靭でなければいけない。ただ硬いだけでは簡単にヒビが入るし、そのヒビも大きく連鎖してしまう。しなやかさも、修復力も持ち合わせること。どんどん大きくなる、変化していけるものであろうとすること。

簡単に底が見える器でないように。底が深く、まだまだどんなものが入ってるかが解らない。そんな大きな器になっていけば自然と寛容で、魅力的な人になっていける。

人生の意味はこの器作りにある。一生かけて作り続ける。時に傷を受けても修復し、どんなことも受け入れながら磨き育もう。

意訳のような感じで、その時に話を聞きながら自分なりに理解した面もあるかもしれません。
でも根っこに、根幹にそういった響く言葉、残っている何かが無ければ吸着し、大きく育たないかもしれません。

まだまだあると思います。
こうしてnoteに書き出そうとすることで自分の思考を掘り起こしたり、
眠らせることなく活かすことが出来たりしますね。

器の話を思い返すに、まだまだ誰しもが途上であり、学び、磨き、育んでいる最中なのだと思います。
先人の遺した様々な器は歴史学や著書、事績などでも大いに学べますよね。

学びのチャンスを創る、活かす、繋いでいく。
そういった中で自分も日々、器作りに、学び育んでいきます。