ランニングに関わる考察 - ある陸上競技選手の足跡:1995-98:高校生時:総評
note:https://note.com/nkamiya/n/ne7e2719e2747


入学した先は当時日本一強かった兵庫県立西脇工業高校。
入学前の1994年も全国高校駅伝を制覇していました。
トラック、インターハイ路線も非常に強く、地元兵庫県では存在感が半端ではなかったです。

もちろんライバル校に報徳学園がありました。

「兵庫を制するものは全国を制す」と言われるほど熾烈で、
実際この後も高1年は西脇工、2年の時が報徳、3年時が西脇工が全国を制覇しました。



普通に受験、進学するか、スポーツ+学問のある高校に行くか、
スポーツで選ぶかを迷い、「日本一」のチームを選んで進学することにしました。

正直学力的には全然上の高校に行けたので迷いました。
大いに迷いましたが、工業高校の勉強も頑張る代わりに大学でやりたい勉強をすれば良いという考えで「競技」を優先しました。



★★

今回は「総評」なのでさらっと行きます。とにかく濃い3年間でしたので。

1年の時は故障や手術もして自分の中では全然でした。
一気にブレイクする心積もりだったのでショックでしたね。
ここで諦めて編入学試験でも受けようかと思ったくらい(笑)



2年になっても苦戦は続きました。
どうしても目標とするタイムを0コンマ何秒か切れない。
あと数秒以内まで来てから0コンマ分ベストは何度も出るけど切れない。

悔しさが続きました。ようやく解放されたのが夏でしたからね。
ラストチャンス!に近いと思っていました。
クソ暑かろうが絶対出してやる!!と思っていました。

秋冬になるとようやく「自分に見合う」活躍が出来始めたと思いましたね。
それでも悔しいことが多かったですが。

何より前年度「全国制覇」をしていたのに自分はかすりもしなかった。
2年次こそはと意気込んだけど、県大会で代表の座は報徳学園に。
しかもそのレースは補欠に回るという寂しさ。

自分が出ていたら!!(それまでの選考会ではそこそこ結果が良かった)という想いと、
これから進路も考えねば・・・という中で自己ベストはしっかり伸びてきました。

それがまた一度のインフルエンザをきっかけに崩れる・・・





そんなこんなで気付けば3年生を迎える時期。
これまた進路については後回しにしましょう。
noteを5本では済まないかもしれない(笑)

冬にインフルエンザで体調を崩し、復帰時に無理したせいか、ずっと調子が上がらず数か月。
焦りもあったのでしょう。それとも理想と現実のギャップでしょうか。

とにかく最後の高校総体の学内選考が行われました。
そこでも薄氷の中、なんとか目標とする5000m代表の座を頂きました。

地区、県、近畿を順当にクリアし、全国へ!そして7位入賞!!

満足感というよりもうちょっと・・・と思う部分もありましたが、
1年の時から来るとよくここまで来れたという印象もありますね。

その後、冬には高校駅伝も今回は出場し、全国高校最高記録で優勝!
3年間の目標は最終的にある程度達成することが出来ました。



★★★

こうして振り返っても強豪校の、厳しい環境になるのは自分次第なんですよね。
日本一になる高校(チーム)なので一瞬の油断も出来ない。
チームメイトも中学時代から全国で名を馳せた選手が多いのですから。
もちろん先輩も、後輩だって・・・

そんな中で「休み」するのは本当に怖いんですよね。
それがたとえ不可抗力であっても、ケガであっても。
適切なトレーニングと休養が大事。これは充分解っていても、どうしても怖い。
自分が休んでいる間に周りは・・・

と考えがち。

そういう意味では自信があり、周りを気にせずしっかり休める。
激しい競争をしつつもマイペースを保てるという人にはお勧めですが。

なかなか強靭さがないと大変です。本当に良い勉強になった3年間でした。


高校時代の実績